2011年6月9日木曜日

写真家・浅井愼平さんとの邂逅

1978年夏、ルイス・イッセイの初仕事で、グァムへ行くことになりました。

その年の5月に開港したばかりの成田空港で、原田英子さんが一人の男性に声をかけたのです。
それが、浅井愼平さんでした。ジーンズにポロシャツというラフなスタイルの浅井さんは、最初からとてもフレンドリーでした。

僕たちと浅井さんたちは、なんとグァムへ、同じタレントを撮影するために行くところだったのです。しかも、宿泊するホテルも同じ。
偶然とは言え、驚きの一語です。

撮影するタレントは、大場久美子さん。
僕たちは単行本、浅井さんたちといっても編集者(角川書店の福田実徳さん)と二人ですが、雑誌のグラビア撮影でした。

それぞれの想いを乗せて、3泊4日グァムの旅へと出発しました。

大場久美子さんを撮影に来ていたのは、僕たちだけではありません。 いくつもの雑誌社が撮影を待っています。
その中で、僕たちは優先的に時間をもらえる約束になっていました。

 ところが、グァムへ着くと、なんと台風が接近していて、最悪の天候。雨は降っていないまでも、曇天で晴れそうにもありません。

と、浅井さんから「グァムを案内するよ」と嬉しいひとこと。

僕たちは、カメラマンに大場久美子への密着を指示して、浅井さんの提案に乗ることにしました。
福田さん、原田さん、僕の3人は、ツアーコンダクターと化した浅井さんの後をゾロゾロと付いて歩きます。

博識浅井さんは歩きながら、いろんな話をしてくれました。

夜は一緒に、すき焼きを食べよう、ということになりました。
座敷に座り、日本酒を傾けていると、浅井さんが、ぽつりとつぶやきます。

「この障子を開けると、外は雪だったりして……風流だねえ」

もちろん、雪など降っているはずはないのですが、その発想の新鮮さ、ユニークさには驚かされることばかりでした。


一日目、二日目と天気は回復せず、僕たちは毎日、浅井ツアコンの珍道中。

この店の何が美味しいとか、あの店には着るものの掘り出し物があるとか、ジョークを交えての浅井愼平独演会です。

それでも、僕たちのカメラマンは、大場久美子さんに張り付いて、写真を撮っていました。頭が下がります。ダメ編集者と働き者カメラマン。

そして、最終日、ホテルフジタのプールサイドへ、取材する人たちが集まっていました。

どんよりした空は、いっこうに晴れる気配はありません。
このときの浅井さんの決断は、速かったですね。

「きょうもダメだね」とひとこと。

大場久美子さんのスタッフが「後で、きちんと時間をとりますから」と言うのにも、聞く耳持たず、です。

結局、浅井愼平さんは一度もシャッターを押しませんでした。

すごい人がいるなあ、と驚くと同時に、編集者は大変そうだなと、福田さんの顔に書いてあるような気がしました。


この邂逅が、浅井さんとの家族ぐるみの付き合いに発展します。
仕事でも、一緒に会社を作るようになるのですが、それはまだ先のこと。このときはまだ知るよしもありません。

このグァムは、浅井愼平さんとのHAPPY DAYSの始まりでした。

30数年たった今、浅井さんと新しい本を作ろうとしていることに、あらためて感動を覚えています。

そう言えば、浅井さんの本は初めて編集するかもしれません。こんなに長い付き合いなのに、これも不思議と言えば不思議です。

ちなみに、僕たちが作った本、大場久美子の「恋の指定席」(立風書房)は1978年の11月に無事発売されました。
彼女とも不思議な縁があり、1980年2月にワニブックスから発売された「素顔のままで」という本も、僕が構成をやらせていただきました。

ノアズブックス 編集長 Hideo. K

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