2011年6月10日金曜日

ビートたけしの「三国一の幸せ者」と「幸せひとり占め」

7月に「ビートたけしの三国一の幸せ者」を出版したら、これがたちまち大ベストセラーになってしまいました。まだ扶桑社はなく、サンケイ出版での発売。
こういう好機を見逃さないのがニッポン放送。すぐに、第二弾を作ろう、と森谷ディレクターも大乗り。高田先生も悪乗り。

当時のベストセラーに「アクション・カメラ術」という本があって、それならこちらは「ハクション・カメラ術」だ、とばかりに、番組で台湾ロケを決行したのです。
ラジオ番組で台湾ロケなんて、前代未聞とはいいませんが、空前絶後でもないけど、ラジオですからね、すごいことです。



処女作の「三国一の幸せ者」が大ベストセラーになって、スタッフで飲み会をやろう、ということになりました。
サンケイ出版の担当者はちょっとお年を召した方で、ノリが違うから呼ばずに、森谷ディレクター、高田先生(このときから「先生」と読んでいます)、弟子の放送作家、そして僕の4人で、一次会はニッポン放送持ち。二次会は僕の会社持ち。

そして、三次会。高田先生が「銀座の姉ちゃんのとこ行くぞ」と号砲一発。これには誰も逆らえません。
飲むほどに気も大きくなってきて、飲めや歌えの大騒ぎ。と、森谷さんが耳元で「お金、大丈夫?」とポツリ。首を振る僕。
「高田さんに聞いてみるよ」と森谷さん。高田さん、首を振っている。

瞬間、酔いが覚めました。当時は、まだカードなんて持っていない時代です。現金かツケか。弱った表情の高田さんの顔を見たとき、
「高田先生、待っててください。会社行って、手提げ金庫持ってきますから」
思わず、僕がそう答えていました。

編集プロダクションをやっていたので、会社の手提げ金庫には常に10万円ほど現金が入れてあります。それを知っていたから、とにかく会社へ向かいました。
手提げ金庫は持っていきませんでしたが、現金10万円をしっかり握りしめて帰ったときの高田さんと森谷さんの嬉しそうな顔は、いまだに忘れることができません。

ツケにしようと思えば、当然、大丈夫だったはずです。でも、ここで高田さんのツケで飲んでは、森谷さんも僕も立場がない、と思ったのです。洒落にならない。
じゃあ、洒落で「手提げ金庫持ってきます」がいいと思ったわけです。もし現金が入っていなければ、それはそのときで、また洒落を考えればいいと思っていました。

高田さんはそれからも「手提げ金庫持ってきたんだよ、こいつは」と、ことあるごとに言ってくれましたが、この出来事がきっかけで、高田さんとも森谷さんとも仲良くなれたような気がしています。
この乗りの良さが、ビートたけしさんの本作りにも生かされたのでしょうか、。7月に1冊目が出て、年内のうちに2冊目の「幸せひとり占め」ですからね。すごいなあ、と思いました。

この12月に高田さんから、たけしさんと飲もうと誘われ、新宿でふぐをご馳走になりました。お金を払おうとすると、もうたけしさんが払っていたのには、驚くと同時に恐縮してしまいました。
こんなHAPPY DAYSは、編集者ならではのことだと思います。それからは、毎年一冊、ビートたけしのオールナイトニッポン本を作っては、高田さんや森谷さんと豪遊。ほんと、楽しかった。

本のタイトルには必ず「幸」という寺が入っています。順を追っていくと、
「幸せになってしまいました」(1982.10)「無条件降伏」(1983.12)「ニッチも幸(さ)っちも」(1984.12)「幸か不幸か」(1985.12)「不幸中の幸い」(1986.12)「全面幸福」(1988.5)「その男幸せにつき」(1990.1)「幸せ丸十年」(1990.12)
タイトルはすべて、高田文夫作。タイトルが先に決まっていて、高田さんは「これでもう、できたも同然だな」と。
書き出せば、思い出はつきません。1980年代のHAPPY DAYSに乾杯、です。

ノアズブックス編集長 HIDEO.K

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