2011年6月9日木曜日

アグネス・チャン「LOVE LETTER from AGNES CHAN」

ペップ出版で2冊作り、辞めてからも1冊作ったのが、アグネス・チャンの本です。


1冊目の「また逢う日まで」はアグネスが雑誌に書いたもの、インタビューを受けた記事などを編集部でまとめた本で、本人は気に入ってなかったようです。
そこで、きちんとした本を作りたい、ということで留学していたカナダで撮影をして、写真集を発売することになったのです。

カメラマンの北出博基さん、渡辺プロの渡部さん、僕の3人はレコーディングをしているロスへ向かいました。1977年の2月だったような気がします。


冬の東京から初夏のロスへ――


僕にとっては、初めてのアメリカです。帰りに2泊だけど、ハワイに一人で寄ることにもなっていました。

楽しみがつきない取材旅行になるはずでした……。



ロスでは何事もなく終わり、カナダのトロントへ向かうことになりました。

アグネスが「寒いよ、トロントは」と言うのです。

旅慣れたカメラマンの北出さんは、ちゃんとコートを持参していましたが、渡部さんと僕はせいぜいセーターくらいしか持ってきていません。

早速、渡部さんと二人、郊外のショッピングモールへ買い物に出かけました。タクシーでハイウェイを飛ばすこと20分かそこらだったと思います。

渡部さんは英語がペラペラなので、名刺をもらってタクシーを返したのですが、これが最初のつまづき。

コートを2着買って、帰りのタクシーを探すけど、まったく見当たりません。

名刺のタクシー会社に電話をすれども、どうも要領を得ないと、渡部さんは言います。
30分ほど待ちましたが、あたりは暗くなり、お腹も空いてきたので、ショッピングモールを出て、食べ物屋を探すことにしました。

大きな通りへ出ると、一台の車が僕たちの前に止まりました。何か話しかけてきますが、見るからにオカマっぽい男性。

渡部さんが英語で断った後、オカマだよ、とぽつり。


10分くらい歩いたところに、小さな店がありました。
早速、中に入り、サンドイッチのコーラを注文して、店のおばさんに渡部さんが話しかけました。

席に戻ってきた渡部さんは、苦笑を浮かべながら「この近くのタクシーを呼んだから、すぐ来るってさ。僕らが乗ってきたタクシーは、遠いところにある会社だから、ここまでは来ないんだって」とまくしたてたのです。

買い物10分、待つこと50分の旅は終わりました。先行きが不安になったのを覚えています。


カナダのトロントは、雪景色でした。

ホテルの部屋の鍵を手渡そうとすると、静電気が起きるほど。

晩ご飯を食べに外へ出た瞬間、その寒さに驚きます。
それでも、中華料理店を見つけ、どうにか人心地ついたと思ったら、メニューが英語と中国語。
ミートボールを頼んだら、出てきた料理は野球のボールよりでっかいミートの固まり。
次の日に、アグネスが案内してくれた中華料理とは大違いでした。

ナイアガラの滝で撮影しようと向かったのですが、観光客がまるでいません。それもそのはず、あの大瀑布が、4分の3も凍っているのです。

一軒だけ開いていた土産物屋のおばさんに「日本人は物好きだね。こんな季節に来る人はいないよ」と笑われる始末。寒さでアグネスの鼻の頭が赤くなるし、僕らは震えるばかりだし、撮影は即中止。

二十年後くらいに、秋のナイアガラへ行きましたが、このとき見た大瀑布こそ、ナイアガラの滝だと実感したのを覚えています。

アグネスの通っているトロント大学の体育館は、素敵だったなあ。カバーの写真に使ったような記憶があります。

自分の大学生活を振り返り、あまりの違いに羨ましさを覚えました。
こういうキャンパスライフは、HAPPY DAYSの毎日でしょうね。試験さえなければ。

このロケ中に、カメラマンの北出さんに双子の赤ちゃんが産まれた、という嬉しいニュースが日本からもたらされたのも、忘れられないことのひとつ。
北出さんは浅井愼平さんのアシスタントをしていたこともあり、浅井さんが名付け親になったとか。

ちなみに、ペップ出版を辞めてから作ったアグネスの本「ハッピーアゲイン」では、香港までアグネスの原稿をもらいに行きました。

自筆の原稿は、きちんとした日本語で書かれていたのが忘れられません。1978年9月に二見書房から発売されました。

ノアズブックス 編集長 HIDEO K.

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